創業メンバー
Founder起業家たちが心から
欲しいと
思える学校。
このメンバーで
出来なければ
きっと誰にも出来ない。
そう思える仲間で
前人未到の
学校創りに挑む。
日本の田舎町に シリコンバレーのような 場所をつくりたい。
たった1つの 面白い事例をつくることの方が、 よっぽどパワフル。
意見を戦わせるより、 実際につくる方が ずっと価値が高い。
世の中と人間の 未来を変えられる 可能性がある。
年ぶり、日本初の新設校。
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ZOZO TOWNの
テクノロジートップ学校長
大蔵 峰樹Mineki Okura
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ウェディング業界を変えた
イノベーター初代クリエイティブディレクター
山川 咲Saki Yamakawa
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0から業界を創った起業家
理事長
寺田 親弘Chika Terada
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世界で活躍する
クリエイティブディレクターカリキュラムディレクター
伊藤 直樹Naoki Ito
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学生にただ教えに 来るんじゃなくて、 先生も”学校に学びに来る” と言うのが理想です。
学校長大蔵 峰樹
— どんなことをしてきた?
僕自身が高専出身で、福井大学に編入後、大学院在学中に友人と有限会社シャフトを創業しました。ZOZOTOWNのサービス開発に携わったことをきっかけに、05年スタートトゥデイ(現 株式会社ZOZO)に入社して、15年 ZOZOテクノロジーズの前身となるスタートトゥデイ工務店代表取締役CTOに就任しました。そこではシステム全般をやっていて、サイトの管理システムの責任者や、倉庫管理システムと物流倉庫の両方の責任者を経験しました。
— なぜ学校に参戦したのですか?
きっかけは危機感でしたね。今のままでは「ものづくりができない、何者でもない学生」が生まれてしまうのでは、という感覚。でも決めたのは、それ以上のものがあったから。高専が日本で新設されるのは、20年ぶりのこと。高専卒業生として、新設校に初代校長として関わるのは、やりたくてもやれないチャンスだと思いました。高専の可能性には人一倍、確信がありましたからね。
— どんな学校をつくりたいですか?
魅力的な先生が集う学校をつくりたいです。学生にただ教えに来るんじゃなくて、先生も”学校に学びに来る”と言うのが理想です。自分自身も興味があって、学生と一緒に学ぶ。ただ自分の方がちょっと先輩だから、持っている知識を教えながら、学生たちとなにか一緒にやる。例えば学生と一緒に副業してみるとか!学生のみんなには、学んだことを、即座に使って、プロジェクトや学校外の活動をしてもらいたいです。
— 何が楽しみですか(やりたいことは?)
どんな学校長になりたいか、という質問がありますが、学生のロールモデルはやっぱり先生だと思うんです。先生が魅力的で、こんな風に人生を送りたいと思わせられることが大事だなぁと。逆に先生が疲れた顔でグチグチしていたら、何にも教わりたくないですよね(笑)。イメージは「正月にたまに会う親戚の楽しいおっちゃん」みたいな学校長です。「あのおっちゃんともっと遊んでいたいのに、帰らないと…」という言う存在になれればいいですね。
— 学生に対してメッセージをお願いします。
おぼろげながらでも、「何かを作ってみたいな」と思っている学生がいたら、”思い描いたものを作れる”ようにしてあげたい。僕は基本エンジニアなので、「デザインもわかって、モノも作れて、さらに事業も起こせる」という人間を育てられるといいなと思っています。今は明確にやりたいことや目標が決まっていなくても、全てにおいて、「何かをやりたい」であるとか、「何かをつくりたい」という情熱を持った学生に、集まってもらえたら嬉しいですね。
- PROFILE
- 1997年に福井工業高等専門学校 電子情報工学科卒業後、福井大学の3年次に編入。同大学院 博士後期課程修了 博士(工学)。在学中に友人と有限会社シャフトを創業。ZOZOTOWNのサービス開発に携わったことをきっかけに、2005年スタートトゥデイ(現 株式会社ZOZO)に入社し、技術責任者として開発を牽引。2015年ZOZOテクノロジーズの前身となるスタートトゥデイ工務店代表取締役CTOに就任。ZOZOTOWNを日本最大級のファッションECサイトへ成長させた立役者。
「自分で考えて、決めて、 行動していくこと」が 生み出す未来は、 本当にかけがえのないもの。
初代クリエイティブ
ディレクター山川 咲
— どんなことをしてきた?
フジテレビアナウンサーの娘として生まれ、2歳から1年以上ワゴンカーで全国を旅して、移り住んだ片田舎で薪でお風呂を焚いて生活...と周囲との違いに悩み続けた私でした。でも28歳の時に、そのアイデンティティこそが自分なのだと思い起業。“みんな違う人生に、みんな違う結婚式を作ろう”と、業界初の完全オーダーメイドの結婚式のブランド、CRAZY WEDDINGを立ち上げました。直後から業界に風穴を開けた革命児と呼ばれ8年間を駆け抜け、昨年2020年の3月に自分が創業したCRAZYから独立しました。
— なぜ学校に参戦したのですか?
きっかけは、ISAKを立ち上げた、心から尊敬する小林りんさんからの突然の紹介。当初、寺田さんから理事長として口説かれ、学校のことを2ヶ月ほど本気で議論する中で、「あなたが理事長をやるべきだ」と、寺田さんに迫った瞬間がありました。寺田さんが本気で覚悟を決めていく瞬間を目の当たりにして、「この学校は本当に面白いものになっていく」と確信して、私自身もこの高専に賭けようと思いました。
— どんな学校をつくりたいですか?
「自分の意志を見つけ育むことができる」学校をつくります。CRAZYを創業した時から大事にしていた「意志をある人生をひとつでも多くこの世の中につくる」という気持ちは昔から微塵も変わりません。この学校はそれに繋がる場所だと思っています。人間としての”強さ”や”深さ”を育み、追求できる場所にしたいですね。
— 何が楽しみですか(やりたいことは?)
自分で事業を興してきたメンバーが集まっても学校創りは、本当に驚くほど難しい。でも、よく話すんです。「起業っていいね。この歳でもまだ怒られたり、驚いたり、不安になったりして、自分に伸びしろがあるのを感じる」とか、と。世の中にまだないモノを作ろうと、大人たちがもがき、成長し、新しい自分に出会い続けています。学校でも学生にそんな大人たちに生で触れてもらえることが楽しみです。あと、入学式!想像したら今でも泣けます。笑
— 学生に対してメッセージをお願いします。
「15歳で、自分が未来を選ぶ」。世の中には当たり前の選択肢が常に存在していて、何も選ばずに生きることもできます。でも、大人になってから、「自分で選ぶ」ことを始めるのは、とっても難しい。「自分で考えて、決めて、行動していくこと」が生み出す未来は、本当にかけがえのないもの。高校を選択するというこの時期に、あなたが”自分の意志”に出会えることを願っています。
- PROFILE
- CRAZY WEDDING創設者。1983年東京生まれ。大学卒業後、ベンチャーのコンサルティング会社へ入社。退職後に単身オーストラリアへ。「意志をもって生きる人を増やしたい」と考え、2012年に業界で不可能と言われた完全オーダーメイドのウェディングブランド「CRAZY WEDDING」を立ち上げた。2016年5月には毎日放送「情熱大陸」に出演。その後、産休・育休を経てIWAI OMOTESANDOの立ち上げに携わる。2020年3月27日にCRAZYを退任し独立。2020年12月にホテル&レジデンスブランド「SANU」の非常勤取締役及びCreative Boardに就任。著書に「幸せをつくるシゴト」(講談社)。
自分が行きたかった 学校を作りたいし、 自分の子どもを入れたくなる 学校を作りたい。
理事長寺田 親弘
— どんなことをしてきた?
大学卒業後に三井物産株式会社に入社しました。その際に情報産業部門に配属された後に、米国やシリコンバレーでベンチャー企業の日本向けビジネス展開支援に奔走していました。帰国後は、社内ベンチャーの立ち上げ等を経て、2007年にSansan株式会社を創業しました。起業した時は、「天下をとりたい」くらいだった湧き上がる野心が、自分のやりたいことを真摯に向き合っていくとおのずと洗練されて、志になり、それを語っていくうちに成熟してきたように思います。
— なぜ学校に参戦したのですか?
僕は最初の1人ですが、Sansanを創業する前、前職時代にシリコンバレーに駐在した経験がありました。田舎からクリエイティブが生まれていく空気を肌で感じて、“シリコンバレーのような場所を日本でも作りたい”と思っていました。自分がやりたい社会貢献の形も、「人材作りだよな、教育だよな」という思いも高まり、2010年からSansanのサテライトオフィスを神山町に開設したご縁もあって、数年前から「神山町に高専を作ろう!」と、周りに言い始めました。
— どんな学校をつくりたいですか?
「モノを作る力で、コトを起こす人」を育てる。僕は、起業家として生きる考え方や能力を、学校で教えてもらったことはなくて。でも、本当は教えられるものというか、触発できるものだと思っています。野心的な少年に、圧倒的なチャレンジができる機会や、後押してもらえる環境は作れたはずだって。自分が行きたかった学校を作りたいし、自分の子どもを入れたくなる学校を作りたいです。
— 何が楽しみですか(やりたいことは?)
僕が目指している学校とその未来は、高専の卒業生から起業家がたくさん生まれること。アントレプレナーシップを持った様々な人が活動する発信地になっていてほしいし、そうなると思う。新しい人や企業がどんどん神山町に参加して、たくさんのイノベーションが生まれたら嬉しいし、誇らしい気持ちになります。そんな未来を実現する、「何か世の中に対して仕掛けたい」と思うような学生に、ぜひ神山町に来てほしい。
— 学生に対してメッセージをお願いします。
僕はキャラ的に、温かくみんなを包み込むような理事長ではないけれど、学生のみなさんには「真剣に生きている、かっこいい大人の姿を見せられるイノベーターな起業家」でいたいと思っています。何かやりたいものや、作りたいものが浮かんだら、すぐにやれるのが当たり前になる学校にするので、内に秘めた野心がある学生にぜひ来てもらいたいです!
- PROFILE
- 慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、三井物産株式会社へ入社。情報産業部門に配属された後、米国・シリコンバレーでベンチャー企業の日本向けビジネス展開支援に従事する。帰国後は、社内ベンチャーとしてデータベースソフトウエアの輸入販売を行う部門を立ち上げる。その後、関連会社に出向し、経営企画・管理業務を担当。2007年、Sansan株式会社を創業。
何かを捨て、 選んでいくことって、 今どの学生もその瞬間を 迫られていると思う。
カリキュラムディレクター伊藤 直樹
— どんなことをしてきた?
『WIRED』日本版のクリエイティブディレクターとしてデジタル・クリエイティブの領域を担い、現在はクリエイティブ集団の『PARTY』で代表をつとめています。その一方で、京都芸術大学やデジタルハリウッド大学で教鞭をとるなど、“教育者としての一面”もあります。過去には「BaPA(バパ)」というデザインとプログラミングの学校を開校したことも。
— なぜ学校に参戦したのですか?
この学校の目指す姿が、ぼくの考え方そのものでした。会社等で取り組んできたことでした。「この高専は、自分が理想としている“これから必要とされる人材”を育成できるのではないか”」とワクワクしたし、身震いしたのです。これまでの経験から「カリキュラムをつくる立場だったらできるかも」と思い参画しました。
— どんな学校をつくりたいですか?
いま社会の現場で必要とされているのは、「デザインとエンジニアリングが融合した学び方」です。この高専の最初の卒業生が出るのは2028年。その頃には、ひとりの人間が所有するIoTの数は飛躍的に増えているでしょう。CGが触れて、デザインもでき、電子回路がわかり、プログラミングできれば、試作品が作れる。おまけに投資家へのプレゼンまで上手だったら完璧ですね。
だから15歳から、一般高校で文系・理系の選択をするということが当たり前になっている現在から、この高専を選ぶという選択肢を増やせる学校にしたいです。
— 何が楽しみですか(やりたいことは?)
この学校で『モノをつくる力』と『社会と関わる力』を身につけることができれば卒業する頃には、起業家だけでなく、建築家、デザイナー、エンジニア、はたまたアーティストなど、あらゆる選択肢から自分の将来を選べるだけのスキルが身についていると思います。そんな学生を育てることや、その先の未来を作ることに挑戦することは楽しみです。
— 学生に対してメッセージをお願いします。
何かを捨て、選んでいくことって、今どの学生もその瞬間を迫られていると思うんです。
でもひとりで悩まないでほしいですね。学校では成績が伸びなくて悩む場面や、人間関係で悩む場面も出てくるでしょう。15~20歳の頃は、将来が想像できないことや、社会が見えてきたからこそ勇気が出ないということもある。神山まるごと高専に集う”面白い大人たち”をうまく利用して、スポンジのように吸収してどんどん成長していってほしい!
- PROFILE
- 71年静岡県生まれ。早稲田大学卒業。NIKEのブランディングなどを手がけるW+K Tokyoを経て、2011年、クリエイティブとテクノロジーの力で未来の体験を社会にインストールするクリエイティブ集団「PARTY」を設立。現在、代表を務める。京都芸術大学情報デザイン学科教授。デジタルハリウッド大学客員教授。アートを民主化するThe Chain Museumの取締役。スポーツ観戦をDXするStadium ExperimentのCEO。文化庁メディア芸術祭優秀賞、グッドデザイン賞金賞、カンヌライオンズ金賞など、250以上の国内外の広告・デザイン賞を受賞。
設立メンバーの想い
「学校を創りたい」
ずっと持ち続けてきた漠然とした想いが、
熱を持って形になっていったのは、
出会えた場所と人の化学反応があったから。
構想から10年以上、プロジェクト開始から約2年。
そのはじまりの場所にいた、
初期の設立メンバーが学校立ち上げに込めた、
それぞれの想いを知ってください。
-
大事なのは
学びを目的に
する事ではない。Sansan株式会社
代表取締役社長/CEO寺田 親弘
想いをみる -
これまでにない
選択肢を
提供したい。認定特定非営利活動法人
グリーンバレー理事大南 信也
想いをみる -
自分自身が
目指す北極星を
何度も探してほしい。株式会社2100
CEO/Creative Director国見 昭仁
想いをみる
大事なのは
学びを目的に
する事ではない。
Sansan株式会社 代表取締役社長/CEO寺田 親弘
Sansanの経営は私にとっての主戦場です。しかし自分が持つリソースを使って「Sansanとは違う社会貢献ができないか」とずっと考えていました。Sansanでの採用活動で優秀な高専生が数多くいることを知りましたし、中学卒業時点で専門技術を5年かけて究めるという彼らの覚悟には目を見張りました。高度成長期のものづくりを支えた高専をアップデートできれば、今まで以上の学びの場になると感じています。「神山まるごと高専」では、従来の高専のようにテクノロジーの理解や習得に力を注ぐ一方、アートやデザイン、マインドフルネスなどもカリキュラムに加える予定です。しかし、大事なのはこれらの学びを目的にするのではなく、刀のように自分の武器として扱い、どのような環境でも自由に駆け回り、生き抜いていくこと。「神山まるごと高専」の設立は、順調なら2023年、最初の卒業生が生まれるのは2028年です。変化が激しくなる時流のなかで「2028年にはどんな社会課題が生まれているか」を正確に予測するのは難しいもの。だからこそ、どんな時代であっても自ら課題を考え、決断し、動ける「野武士型パイオニア」を輩出することが大きな意義になると信じています。
- PROFILE
- 慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、三井物産株式会社へ入社。情報産業部門に配属された後、米国・シリコンバレーでベンチャー企業の日本向けビジネス展開支援に従事する。帰国後は、社内ベンチャーとしてデータベースソフトウエアの輸入販売を行う部門を立ち上げる。その後、関連会社に出向し、経営企画・管理業務を担当。2007年、Sansan株式会社を創業。
これまでにない
選択肢を
提供したい。
認定特定非営利活動法人
グリーンバレー理事大南 信也
神山町には日本全国どころか世界中から集まってきたクリエイターが数多くいます。最先端のITやAIなどの特殊なスキルを持つ人たちばかり。学生たちにとってこんなに贅沢な学びの場はないわけです。さらに校舎と町の間には境界がなく、町のサテライトオフィスにいる現役クリエイターが学校まできて講義する日もあれば、学生自らオフィスに足を運んで何かを吸収する日もある。それが「神山まるごと高専」なんです。現代社会は仕事の形が大きく変わりつつあり、その流れは今後さらに加速し、今ある職業も多くは無くなってしまうはず。かつては新卒でどこかの会社に入り、定年まで勤め上げる人生が当たり前でしたが、これからの子どもたちはむしろ自分たちで新しい仕事を創造しなければいけません。この高専は神山町だけでなく、全国各地の既存の教育機関にも大きなインパクトを与えるのではと、日本中から期待されています。冒険心豊富な学びを実現する神山まるごと高専そのものが、教育界に変化を生み出す存在として、これまでにない選択肢を提供できると考えています。
- PROFILE
- 神山まるごと高専設立準備財団代表理事・NPO法人グリーンバレー創設メンバー。クリエイティブに過疎化をさせる「創造的過疎」を持論に、多様な人が集う「せかいのかみやま」づくりを進める。
自分自身が
目指す北極星を
何度も探してほしい。
株式会社2100
CEO/Creative Director国見 昭仁
教育は自分の人生をどうより良いものにするかまでは教えてくれません。だからこそ自分自身が目指す「北極星」がどの方角にあるのかを何度も探し、試行錯誤する経験が必要だとずっと考えていました。教育界でよく用いられる「Head(知識)」「Hand(技術)」「Heart(意志、こころ)」という3要素がありますが、どの知識や技術を習得すべきかを判断するのは自分自身。つまり自分の意志「My Heart」こそが大事だと考えています。さらに私たちはここに「Foot」という要素も加えました。「神山まるごと高専」の学生の方々には、神山を歩き回り、多くの人と語り、たくさんのことを感じてほしい。自分の想いを人に話し、相手の表情から感じたことを振り返り、また自分の想いを高めてほしい。学校の文化として意志を大切にする仕組みも取り入れたいと考えています。例えば、たき火。火を囲んでいると、なぜか普段話せないことを口にできる気がしませんか。自分の夢を語り、人に否定され、人に共感され、喜び、涙する。そんな体験に満ちた5年間にしたいですね。
- PROFILE
- 大手銀行などを経て、2004年に電通入社。2010年、経営者と向き合いながら、経営、事業、インナーなどのあらゆる企業活動をクリエイティブの力で変革する「未来創造グループ」を立ちあげ、日本ではほとんど存在していなかったビジネスデザインのノウハウをゼロから創りあげる。以降、さまざまな業界のリーディングカンパニーからベンチャー企業において経営変革、事業変革、風土改革などのプロジェクトを150件以上実施。2017年、未来創造グループを拡張し、ビジネスをデザインする専門組織「電通ビジネスデザインスクエア」を立ち上げる。2018年に導入された新制度により、役員待遇となるエグゼクティブ・プロフェッショナルに最年少で就任。2020年、電通を退社し、企業の存在のあり方から未来をデザインするプロフェッショナルブティック「2100」を創業。